2012年01月22日

メキシコ 18歳神田の思い出

18歳で2回目のメキシコへ旅をしたときのこと。
まだ着いて3日目というのにうっかりと財布をなくしてしまった。
私は世界で最も危ない都市のひとつ、メキシコシティにいた。
99年の夏。

1か月の旅の予定、カードで暮らそうと思っていた私は現金をほとんど持ちあわせておらず、
そしてメキシコシティに友人はいなかった。
知り合いを訪ねることはできたけど、親しくない人に助けを求める勇気もない。
とにかく急いで日本に電話してカードを止め再発行の手続きをし、
新しいカードは2日後にTijuanaの友人宅に届くことに。

一緒に旅をしていた親友のまみちゃんに少しお金を借りて過ごすことになって、
いざ、次の旅先予定のTijuanaへ。
しかしTijuanaへ行くふたり分のお金がちょっと足りない。
まみちゃんは先に帰国の予定でお金は1週間分だったので、
私に貸すにも限界があったのだ。

さて。
バスか飛行機か。聞くとバスで行くにはシティからティフアナまで3日間かかるというし、
バス代と食費をあわせてみれば飛行機代とそう変わらないのであった。
ならば、やっぱり飛行機がいいな。

でも足りない。
はて、どうすれば・・・?
はて、どうすれば・・・?なんて余裕もないはずなのに私はというと
幸せに生きてきたせいでボケていたのか若さのせいか、怖さよりは明るさが勝っていたものだから、
なんとかここを乗り切る、今後生き抜く方法を考え出した。

ふと、これから会う予定の友人たちに持ってきたおみやげの
小さな日本酒を10本持ってきていたことを思い出す。
夜9時。
シティの空港でおもむろにトランクを開け、小型スピーカーで音楽を流し、
シートをひいて日本酒の瓶を並べ小さなお店をつくった。

通りすがりの人々が不思議そうに見る。
こんな小娘(日本女子みんながそうであるように"チニータ"と呼ばれる)が
夜の空港で地べたに座って一体何をやっているんだ、と。
旅行帰りのメキシコ人たちが話しかけてくる。
「どうしたんや?!」(私にはスペイン語は関西弁に聞こえる)

私は正直に、「飛行機代が足りなくて。日本のテキーラを持ってきたから買ってほしいの」、
ぽつりと答える。
まだ10代の私は売り子になったことももちろんなく、だから物の売り方を知らなかったけれど、
「きっとあなた、飲んだことない味がするわよ、すごくおいしい、ミラクルなお酒なの!」
そう力説したところ、ぽつぽつと売れ始めた。
何度もがんばる、力説を繰り返す。が、当然ながらすんなりとは売れないこともあった。
だんだん人も少なくなってくる。
不安。

それでも毎回会話するごとに学び、次はこう言ってみよう、など工夫も生まれてくる。
夜中の空港はひんやりと冷たく、しかし人々は親しみを持って気軽に話しかけてくれるのであった。

朝5時。
ついに10本を売り切る。

ニューヨークよりも怖いんだぜ、メキシコシティは。
そう言われていたから、下手すると殺されるかも、、、と頭をよぎるも、
幸運にも優しい人にのみあたったのだと思う。

日本酒を売り切り、飛行機代の足しを稼ぎ、朝方無事にチケットを買うことができたとき、
そんなにいるとは知らなかった数の、空港じゅうのスタッフが拍手してくれた。
おまえ、すごいな!
みんな、心配してくれていたのね。
やったな!
よかった!!
ありがとう、
なんとかチケットを買えたよ!みんな見守ってくれてたのね。
本当にありがとう・・・!!!
みんなに愛を込めてお礼を言って無事Tijuanaへ飛んだ。


私がはじめて自分で物を売った日。
スペイン語を喋れたことで、救われた日の思い出。

あれから随分時間が経った。
それ以来メキシコへは行っていない。
時代は変わったけれど、今でもメキシコは変わらぬあたたかさを
持っているだろうか。

みんな、あの日夜中の空港で見つけた、日本酒を売っていた変な18歳の女の子を
今も少しだけ、覚えてくれていたらいいな。

RITA 神田


posted by Rita at 23:30| Comment(0) | 旅レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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