2011年07月18日

HOLA desde Colombia!! vol.2

みなさん、こんにちは! 今朝は、なでしこジャパンのW杯優勝で大いに盛り上がりましたね! 最後まであきらめない選手たちの熱い思いに私も心を動かされました。一方、南米アルゼンチンで開催中のコパ・アメリカ。東日本大震災の影響で日本は出場を辞退し、強豪のブラジル、アルゼンチンが敗退するなど番狂わせもありました。準決勝に残ったのは、ペルー、ウルグアイ、パラグアイ、ベネズエラ。7月24日の決勝まで目が離せない展開ですね!


さて、シリーズ2回目の"HOLA desde Colombia!!"。先の震災からすでに4カ月余りが経過、原発・牛肉等の問題、そして被災地の生活についても、深刻な状況が続いています。今回も、コロンビア出身のエステファニアが登場し、震災発生当時、一人の留学生としてどのような経験をし、どのような思いで過ごしたかを語ってくれました。


Con respecto al terremoto del 11 de marzo:

Ese día estaba con mi novio, estabamos a punto de entrar

a una inmobiliaria cuando comenzó a temblar.


Me sentí asombrada pues todo se movía fuertemente de

un lado para otro pero, muy tranquila ya que las per-

sonas de mi entorno no se alarmaron todos estuvimos

muy calmados. Creo que la tranquilidad reinó sobre el

desespero y es algo que admiro mucho en los japoneses

además gracias a esto mi experiencia no fue trágica.


Ese día por casualidad yo cargué mi computador y el

internet portátil, así que minutos después del gran terre-

moto le escribí a mi hermano quien está en Colombia

que yo estaba sana y salva.


El único inconveniente se dio a la hora de regresar a casa

porque no estaba funcionando el metro y no pasaban

taxis o los que pasaban ya estaban ocupados es decir, el

transporte público colapso y nos tocó buscar un hotel

cercano, pero al estar todo lleno nos tocó caminar aproxi-

madamente media hora para encontrar uno.


Mis padres estaban juntos y logré comunicarme con ellos

por medio del teléfono público, luego en el hotel mantuve

conexión con ellos y con mi familia en Colombia por

medio de Skype y Facebook.


En la noche viendo televisión fue donde me di cuenta de

lo que realmente había pasado y de la gravedad del

desastre, no pensé que había sido tan grave hasta que vi

esas imágenes. No pude dormir porque sentía que todo se

seguía moviendo y estaba alerta por si en cualquier

momento tenía que salir del lugar, logré dormir unas

horas y en la mañana siguiente salí para encontrarme

con mis padres yo estaba en Seisekisakuragaoka ellos en

meguro.


Apenas nos vimos nos abrazamos muy fuerte

creo que sentimos un alivio al poder estar juntos después

de el gran temblor.


エステファニアとその家族は都内で大地震を経験し、努めて冷静にふるまおうとした姿勢が伝わってきました。読者のみなさんも、当時の記憶が色々とよみがえったのではないでしょうか。震災後は日本を離れ、コロンビアに帰国したエステファニア。「自分にできることはない?」と何度も思いやりのあるメールをくれ、さらにこのブログへの原稿を寄せてくれました! ありがとう!! 今後も、また別の視点から「日本」と「コロンビア」について語ってもらおうと思います。では、また次回にご期待ください。


(編集:児玉)

posted by Rita at 22:40| Comment(0) | メンバー体験談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月26日

HOLA desde Colombia!! vol.1

みなさん、こんにちは!東京ではすっきりしない天気が続く今日この頃、いかがお過ごしでしょうか? 夏休みが近づき、どこか遠くへ行きたい・・・と考え中の方もいらっしゃるのでは。さて、今回の舞台はコロンビア。実は中南米好きの児玉も未踏の地です。そこで、ボゴタ出身の友人、エステファニアにコロンビアの様子をレポートしてもらいました!まずは、ざっくり「コロンビアってどんな国?」の質問に答えてもらいましたので、どうぞ!!



HOLA a todos, me llamo Estefania nací en Bogotá la

capital de mi país Colombia y tengo 19 años.


RITA-Feria de Flores de Medellin
Feria de las Flores de Medellín


Voy a contarles un poco acerca de mi país. Cuando

hablamos de Colombia a diferencia de Japón no se

puede generalizar, ya que no tenemos estaciones

climáticas y nuestro territorio es muy extenso por

lo cual contamos con una gran diversidad cultural.

Por ejemplo, se puede decir que los japoneses son

delgados, de cabello liso y negro; los colombianos

no tenemos una caraterística física única, somos

altos, bajos, delgados, gordos, blancos, morenos,

negros, de cabello lizo, ondulado, crespo, etc.

No es posible saber que una persona Colombiana

con solo verla.


Los colombianos somos personas muy alegres,

positivas y emotivas, nos gusta celebrar en cual-

quier ocasión es por eso que desde pequeños

sabemos bailar. En cualquier región es posible

encontrar niños de tal solo 5 años o menos que

bailan y disfrutan la música. Como sucede en el

carnaval de Barranquilla en donde todas las per-

sonas celebran, bailan y comparten en las calles

de esta ciudad.




RITA-Carnaval de Barranquilla
Carnaval de Barranquilla


Otras grandes festividades son: la semana santa,

la feria de las flores celebrada en Medellín, la feria

de Cali, el día de la independencia (20 de julio), la

batalla de Boyaca(7 de agosto), Navidad(25 de diciem-

bre) y Año Nuevo (31 de diciembre).



エステファニア、ありがとう!みなさんも、少しはイメージがわきましたか?次回からはもう少し踏み込んで、日本に留学した時の体験談、コロンビアの代表的なイベントなどについても聞いてみたいと思います。数回シリーズでお届けしますので、どうぞお楽しみに


(編集:児玉)









posted by Rita at 10:16| Comment(0) | メンバー体験談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月30日

日本でスペイン語学習を活かす 〜在日ラテン人との交流〜 その4

みなさん、こんにちは!

これまで3回にわたってお送りしてきた「日本でスペイン語学習を活かす〜在日ラテン人との交流〜」シリーズ。残念ながら、今回が最後となってしまいました。日本で暮らす外国人家庭は様々な問題や事情を抱えており、それは、子供の不就学問題にまで発展していることが大竹さんの話で分かりました。では、なぜこのような事が起きてしまっているのでしょうか。実態を知った大竹さんにズバリ聞いてみました!

田村:大竹さん、今までのお話から、日本で暮らす外国人児童には問題が山積しているという実態が分かりました。問題といっても、その種類や程度は様々だと思いますが、大竹さんの中で特に印象に残ったケースや驚いた出来事などがあったら教えて下さい。


大竹さん:「どうして日本語を勉強しないといけないの?」、困難にぶつかった時などに、子供たちから時々言われた言葉です。「いつかは国に帰るんだから、日本語を勉強したって無駄じゃない。日本の学校の勉強をしたって無駄じゃない」。
親も「日本にいるのはお金を稼ぐため。いつかは国に帰るから」との考えから、子供を学校へ通わせなかったり、勉強を推奨しなかったりというケースが多くあります。しかし実態は、目標としていた金額がなかなかたまらず、ズルズルと滞在が長引いてしまったりします。一度帰国しても、そちらでなかなかいい職に就けず、生活のために再び日本へ戻ってきて、少しお金を稼いではまた本国へ帰っていくというように、何度も日本と本国を往復する人が多いのです。すると子供たちは、本国でも日本でも満足に学校に通う事が出来ないまま、学齢期を過ごすことになります。

田村:外国人家庭には、そういった隠れた実情があったんですね。でも、子供は親の母語と日本語の2カ国語に接することが出来るのですから、語学面では恵まれた環境にあるような気がしますが。

大竹さん:このような子供たちは、母語も日本語も中途半端(聞けばわかるが自分から十分な表現ができない、文字の読み書きができない)なまま大人になってしまいます。親や周りの大人と十分なコミュニケーションが取れればいいのですが、概して周りの大人は共働きで忙しく、子供は家の中で一人で過ごしたり、小さな兄弟のみで過ごしたりすることが多いので、オーラル・コミュニケーション能力も完全ではなかったりするのです。何語であれ、きちんと「母語」だと言えるレベルで言語が身についていないと、思考能力や理解力が伸びないそうです。

田村:なるほど。人間は「母語」をきちんと身につけていないと、他の能力にも影響してくるんですね。一つ勉強になりました。色々な言語を覚えても、どれも中途半端では意味がないということですね。

大竹さん:いくら3言語話せると言っても、それぞれが中途半端なレベルでは、一つの言語をきちんと身に付けた人とは、長じてからも同じレベルで理解したり思考したりできないと言われています。彼らの場合は、上手くするとバイリンガル、トリリンガルになれる可能性のある一方、下手をすると、何語もきちんと身についていない「ノンリンガル」になってしまう環境にいるのです。

田村:ノンリンガルですか。確かに、そっちの方向に転落してしまったら、恐ろしいですよね。バイリンガルになるのは、私が思っていたほどそう簡単ではなかったんですね(笑)。


RITA-愛知県の外国人登録者数


大竹さん:今回紹介できたのは、たくさんある例のうちのほんの一部です。一年間の実習を通じて、たくさんの、そして根深い問題がいくつもあることを知りました。

田村:そうなんですか。でもどうしてこの日本で、外国人はそんなに数多くの問題を抱えているんでしょうか。何か、共通する原因があるんでしょうかね。

大竹さん:それらの問題をつきつめて考えていくと、日本政府の方針と「入管法」(入出国管理及び難民認定法)の問題へと行き着きます。

田村: 政府方針と「入管法」に原因があるんですか?

大竹さん:「入管法」が1990年に改正されて以来、日系人とその家族は日本へ移住し就労することが可能になりました。そして日本は、不足しがちだった労働力を手に入れることができるようになりました。しかし、この裏には多くの外国籍の子供たちの犠牲があります。

田村:子供たちの犠牲とは?

大竹さん:政府は「日本人ではないから教育を受けさせる義務がない」と考え、親たちは「いつか本国へ帰るから日本語を学ばせたり無理に学校へ行かせたりしなくてもいい。学校へ行くお金があれば送金や貯蓄に回したい」と考えます。効率よくお金を稼ぐために、休日や夜間も働き十分な子育てができず、国へ帰るのか日本に永住するのかも決められないまま、どちらの生活にも基盤を持てないという状況にいる人が多くいます。親が将来のビジョンを描けなければ、子供たちは腰を据えて勉強できません。「今の苦労は何のためだ」と感じて、先の「どうして日本語を勉強しないといけないの?」という言葉になってしまうのです。

田村:そうだったんですか。子供の教育問題が、政府や親の事情から来ているなんて、なんだか複雑な気分ですね。確かに、子供たちが裏で犠牲になっているという大竹さんの言葉、納得できました。でも、こんな実態を目の当たりにされて、大竹さんは正直どう思われましたか?

大竹さん:日本は、安価な労働力だけを手に入れておいて、それで満足していていいのだろうか。「外国人」とはいうけれど、そもそも日系、日本人の子供たち。次の世代にまで移民問題を引き継いでいいのだろうか、と考えた一年でした。子供にどんな教育を受けさせたいのか、または受けさせたくないのかは個人の選択でいいのですが、せめて日本の学校教育について知る機会と受け入れる体制を設けるのは、受け入れ側の義務だという気がします。

田村: たしかに。外国人労働者を受け入れるのであれば、その人の生活や家庭、子供、学校教育など、幅広い範囲をフォローする責任が受け入れ側にもありますよね。外国人児童というと、私の身近にはない分野ですが、深く考えさせられるテーマでした。大竹さん、今回は貴重な体験と興味深いお話、本当に有り難うございました。また機会がありましたら、是非宜しくお願いします!



体験談募集中!

みなさんも”RITA”で体験談を語ってみませんか?
テーマはスペイン語、ラテン文化圏にまつわることなら何でもOKです。お仕事や留学、旅行などなど。日常生活で起きたことや、最近気づいたこと、面白かったことなどでも構いません。是非みなさまの情報をお寄せ下さい!お待ちしています☆
posted by Rita at 11:00| Comment(0) | メンバー体験談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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